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【YOASOBIの「群青」から読み解く】自分らしさへの旅と創作の勇気

はじめに

YOASOBIの楽曲「群青」は、日常の単調さに埋もれた自分の本当の声を取り戻す旅を描いた作品です。この曲では、主人公が渋谷の街で味わう虚無感から始まり、自分の情熱を見つけ、創作活動の苦しみと喜びを経験しながら、最終的に「かけがえのない自分」を発見するまでの精神的成長が描かれています。

物語は日常の退屈さから始まり、ある「青い世界」との出会いをきっかけに、主人公が自分の内なる声に耳を傾け始めます。好きなことを追求する過程で直面する様々な困難や自己疑念、そして何度も挑戦し続けることで得られる小さな光。そして最終的に、透明だった自分から色を持った存在へと変わっていく姿が美しく描写されています。

この記事では、「群青」の歌詞に込められた深いメッセージを一節ずつ読み解きながら、創作に挑む人々の葛藤と、自分らしさを取り戻す旅路の普遍的なテーマについて考察していきます。

1. 日常の虚無感と隠された本当の声

「嗚呼いつもの様に 過ぎる日々にあくびが出る」という冒頭の一節は、主人公の日常に漂う虚無感を鮮明に描き出しています。渋谷という活気ある都会の象徴的な場所であっても、その日常には退屈さと空虚さが漂っています。この感覚は現代社会に生きる多くの人々が共感できるものではないでしょうか。

  • 見えない鎧を着ている自分: 「どこか虚しいような そんな気持ち つまらないな でもそれでいい そんなもんさ これでいい」という歌詞からは、本当の自分を表現することを恐れ、「これでいい」と自分に言い聞かせている姿が浮かび上がります。この「これでいい」という言葉の裏には、本当は満足していない、もっと自分らしく生きたいという隠された願望が透けて見えます。

  • 隠された本当の声: 「知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよほら」という部分は、私たちが無意識のうちに自分の本当の声や感情、情熱を抑え込んでしまっている現実を指摘しています。社会の中で「あるべき姿」に合わせようとするあまり、自分の内なる声を無視してしまうことの危うさを歌っているのです。

この序盤の歌詞は、私たちが日常の中で自分自身を見失い、本当の声を発することを恐れている状態を描いています。しかし同時に、その声が確かに存在していることを認識させる重要な部分でもあります。日々の生活に埋もれがちな本当の自分との対話の必要性を、静かに、しかし力強く訴えかけているのです。

2. 青い世界との出会いと自己表現の始まり

「嗚呼 感じたままに描く 自分で選んだその色で」という歌詞からは、主人公が内なる創造性に目覚め、自己表現を始める瞬間が描かれています。ここでの「青い世界」は、新たな可能性や創造性の象徴として登場します。朝という一日の始まりの時間帯に訪れるこの「青い世界」は、主人公の人生における新しい出発を意味しています。

  • 感じたままに描く勇気: 「感じたままに描く」という行為は、社会の期待や評価を気にせず、自分の感性や感情に素直に従って創作する姿勢を表しています。これは単に絵を描くという字義通りの意味だけでなく、自分の人生を自分らしく生きていくという象徴的な意味も含んでいます。自分で選んだ色で描くという表現には、他者の影響ではなく自分自身の選択で人生を彩るという決意が込められています。

  • 自己表現の緊張と喜び: 「好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど」という部分は、自分の本当の気持ちや好みを素直に表現することへの恐れと、それでも踏み出す勇気の両方を表現しています。社会からの評価や周囲の視線を気にして自分を偽ることなく、本音で生きることの難しさと大切さが伝わってきます。

この「青い世界」との出会いは、主人公にとって単なる偶然ではなく、長い間抑え込んでいた内なる声が導いた必然とも言えるでしょう。「本当の自分 出会えた気がしたんだ」という言葉には、自分自身の本質を垣間見た喜びと驚きが込められています。この出会いが、これからの成長と挑戦の旅の第一歩となるのです。

3. 初期段階の挫折と現実の壁

「嗚呼 手を伸ばせば伸ばすほどに 遠くへゆく」という歌詞は、理想と現実のギャップを鮮明に描き出しています。この部分は特に創作や自己実現の初期段階で感じる手の届かなさ、目標の遠さを象徴的に表現しています。

  • 理想と現実のギャップ: 「思うようにいかない今日も また慌ただしくもがいてる」という部分は、初めて何かに本気で取り組む際の壁を如実に表しています。頭の中のイメージと実際に形にしたものとの落差、理想とする表現と自分の技術レベルとの乖離など、創作初期に誰もが経験する苦しみが描かれています。この「もがいてる」という言葉には、諦めずに取り組む姿勢と、思うようにならない現実との葛藤が凝縮されています。

  • 初めての挫折体験: 「悔しい気持ちも ただ情けなくて 涙が出る」という表現は、初めて経験する本格的な挫折の痛みを表しています。これまで「これでいい」と妥協していた状態から一歩踏み出し、本気になったからこそ感じる深い挫折感があります。そして「踏み込むほど 苦しくなる 痛くもなる」という言葉は、挑戦の度合いに比例して増す困難を表現すると同時に、その苦しみこそが成長の証であるという逆説を示唆しています。

この節で描かれているのは、創作や自己実現の「初期段階」特有の困難です。何かを始めたばかりの時期には、自分の理想と現実の能力のギャップが最も顕著に感じられます。しかし、この時期の苦しみや挫折こそが、後の成長の土台となる貴重な経験なのです。理想の高さゆえの苦しみであり、それは同時に自分が本気になった証でもあるのです。

4. 継続段階の葛藤と責任

「嗚呼 感じたままに進む 自分で選んだこの道を」という歌詞は、初期の挫折を乗り越え、継続の段階に入った主人公の決意を表しています。ここでは初めての挫折とは異なる、長期的な取り組みならではの壁と、それに立ち向かう覚悟が描かれています。

  • 継続特有の困難: 「好きなことを続けること それは楽しいだけじゃない」という表現は、情熱の初期段階を過ぎた後に直面する現実を鋭く指摘しています。初めの頃の新鮮さや高揚感が薄れ、日常的な取り組みとなった時の単調さや疲労と向き合う必要性が示されています。これは初期段階の挫折とは質的に異なる困難であり、好きなことであっても続けていく過程では避けられない試練です。長期的な創作活動や自己成長においては、この「継続の壁」を乗り越えることが不可欠であり、そのためには情熱だけでなく強い意志力と忍耐が必要なのです。

  • 選択への責任: 「本当にできる 不安になるけど」という言葉は、自分で選んだ道だからこそ感じる責任の重さを表しています。他者や環境のせいにできない、自分自身の選択に対する覚悟がここには込められています。「重いまぶた擦る夜に しがみついた青い誓い」という表現からは、肉体的・精神的疲労との闘いや、初心の大切さが伝わってきます。他の選択肢もあった中で、この道を選んだことへの責任を全うしようとする姿勢が描かれています。

この節で重要なのは、初期の「挫折」という一時的な困難と比較して、「継続」という長期的な試練への向き合い方が描かれている点です。目新しさや新鮮さが失われた後も、日々淡々と取り組み続けることの難しさと価値が強調されています。「しがみついた青い誓い」という表現には、辛い時こそ初心に立ち返ることの大切さというメッセージが込められているのです。

5. 努力の積み重ねが生み出す自信と独自性

「嗚呼 何枚でも ほら何枚でも 自信がないから描いてきたんだよ」という歌詞は、創作者としての地道な努力と成長の過程を鮮明に描き出しています。ここでの「何枚でも」という繰り返しは、失敗を恐れず、量をこなすことの重要性を強調しています。

  • 積み重ねの価値: 「何回でも ほら何回でも 積み上げてきたことが武器になる」という表現は、日々の小さな努力や経験が、やがて自分だけの強みや技術として結実することを示しています。この「武器」という比喩は、創作活動や自己表現の競争的な側面を表すと同時に、自分を守り、前進するための手段としての技術や経験の価値を強調しています。一つ一つの挑戦や失敗が決して無駄ではなく、将来の糧になるという希望のメッセージが込められています。

  • 比較からの解放と自己価値の発見: 「周りを見たって 誰と比べたって 僕にしかできないことはなんだ」という問いかけは、他者との比較から生まれる劣等感や不安を認識しつつも、その先にある「自分にしかできないこと」を見つける重要性を説いています。現代社会では、SNSなどを通じて常に他者と自分を比較してしまう環境にありますが、この歌詞はそういった比較の罠から抜け出し、自分だけの価値を見出すことの大切さを伝えています。

この節では、「今でも自信なんかない それでも」という言葉で締めくくられていることが重要です。これは完璧な自信を持つことではなく、不安や迷いを抱えながらも、それでも前に進み続けることの大切さを伝えています。自信がないからこそ努力し、その努力が独自性を生み出すという逆説が、創作に携わる人々の心に深く響くメッセージとなっています。

6. 未知の感情との出会いと成長の転機

「感じたことない気持ち 知らずにいた想い あの日踏み出して」という歌詞は、創作や自己表現の過程で出会う予想外の感情や発見について描いています。ここでは特に、継続した努力の先にある「新たな領域」での体験に焦点が当てられています。

  • 未体験の感情領域: 「初めて感じたこの痛みも全部」という部分は、これまで知らなかった種類の経験に言及しています。ここでの「痛み」は、日常生活では決して味わうことのない、創作や挑戦に特有の感覚を意味しています。例えば、自分の作品が他者に評価される時の緊張感、自分の能力の限界に挑む時の不安と高揚、完成への責任感など、創作者だけが知る特別な感情体験です。これらの感情は決して快適なものばかりではありませんが、それらを通じてこそ得られる独自の成長があることを示唆しています。

  • 小さな達成感の価値: 「好きなものと向き合うことで 触れたまだ小さな光」という表現は、完全な成功や大きな達成ではなく、道中での小さな進歩や発見の喜びを表しています。プロセスの中での瞬間的な閃きや、小さな技術的ブレイクスルー、思いがけない創造の喜びなど、大きな目標達成とは別種の充実感がここでは強調されています。これらの小さな光の積み重ねが、創作の旅を持続可能なものにしているのです。

この節の核心は「大丈夫行こうあとは楽しむだけだ」という言葉に集約されています。これは単なる楽観主義ではなく、さまざまな困難や未知の感情を経験し、それらを乗り越えてきたからこそ到達できる心境です。初期の不安や継続の苦しみを超えて、創作プロセスそのものを楽しむ境地に至った転機が描かれています。ここでの「楽しむ」は、無邪気な娯楽ではなく、深い理解と経験に基づいた本質的な喜びを意味しているのです。

7. 全てを懸けた表現と覚悟

「嗚呼 全てを賭けて描く 自分にしか出せない色で」という歌詞には、創作に対する覚悟と、他の誰でもない自分だけの表現を追求する姿勢が表れています。「全てを賭ける」という表現からは、中途半端な関わり方ではなく、自分の全てを注ぎ込む決意が感じられます。

  • 絶え間ない努力: 「朝も夜も走り続け」という部分は、時間を問わず、休むことなく情熱を持って取り組み続ける姿を表しています。この「走り続け」という表現には、単に忙しいという意味だけでなく、目標に向かって積極的に前進し続ける活力と意志の強さが込められています。夢や目標の実現には、一時的な頑張りではなく、長期にわたる継続的な努力が必要だという現実的なメッセージがここにあります。

  • 全力投球の価値: 「見つけ出した青い光」という表現は、全力で取り組んだからこそ見出せた真実や喜びを意味しています。この「光」は、半端な気持ちでは決して出会えないもの、真剣に向き合い続けた先にのみ存在するものとして描かれています。ここでの重要なポイントは、その光が「見つけ出した」ものであるという点です。与えられたものではなく、自ら探し求め、発見した価値があるからこそ、特別な意味を持つのです。

この節では、「好きなものと向き合うこと 今だって怖いことだけど」という言葉からも分かるように、成長した後も完全に恐怖が消えるわけではないという現実的な認識が示されています。しかし、以前とは違い、その恐怖と共存しながらも前進できる強さを身につけた主人公の姿が描かれています。恐れがあっても、それに打ち勝つ力を得たことが、大きな成長の証となっているのです。

8. 自己認識の変容と確立された自己価値

「もう今はあの日の透明な僕じゃない」という歌詞は、主人公の自己認識の根本的な変化を表しています。ここでは特に、創作活動や自己表現を通じてどのように内面の変化が具体化されていくかに焦点が当てられています。

  • 自己認識の質的転換: 「透明な僕」という表現は、存在感や主体性を持たなかった過去の自分を象徴しています。この「透明さ」は、社会的存在としての希薄さを意味すると同時に、自分自身にとっても自己の輪郭や価値がはっきりと認識できていなかった状態を表しています。「いつもの様に過ぎる日々」の中で、自分を「これでいい」と思い込んでいた時期から、自分の内側に何かがあることに気づき、それを表現することで徐々に「色」を持つ存在へと変わっていく過程が描かれています。この変化は、他者から見た印象の変化というよりも、自分自身の内側での自己認識の変容を表しています。

  • 自己肯定の到達点: 「嗚呼 ありのままの かけがえの無い僕だ」という表現は、主人公が長い旅を経て辿り着いた自己肯定の境地を示しています。ここでの「かけがえのない」という言葉には、比較や模倣から解放された独自性への気づきが込められています。これは単なる自尊心や自信の問題ではなく、自分の存在そのものの価値を深いレベルで受け入れることを意味しています。周囲からの評価や社会的成功の有無に関わらず、自分自身の存在に絶対的な価値を見出すという精神的成熟の姿がここに描かれています。

この節の重要なポイントは、過去と現在の自分を明確に区別しながらも、それを連続した成長の過程として捉えている点です。「あの日の透明な僕」という表現からは、変化の起点を明確に認識しつつ、その時の自分も含めて自分の人生全体を肯定的に受け止める視点が感じられます。単なる過去の否定ではなく、過去からの成長と連続性の中に、現在の自分の価値を見出しているのです。

9. 声を解放する普遍的な価値と聴き手への共感

「知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよほら」というアウトロの歌詞は、曲の冒頭部分と意図的に呼応させることで、物語に円環的な構造を与えています。この繰り返しには、自分の内なる声を発見し解放するプロセスが、一度で完結するものではなく、人生を通じた継続的な課題であることが示唆されています。

  • 循環する自己表現: この部分の繰り返しには、創作や自己表現が直線的なプロセスではなく、螺旋状に発展していくことが暗示されています。成長の各段階で、私たちは新たな「隠れた声」に気づき、それを表現する勇気を持ち、また次の声を見つける、というサイクルを繰り返します。「本当の声を響かせる」ことは一度で完結する課題ではなく、より深い層の声を次々と発見していく終わりのない旅なのです。この視点は、創作に関わる人々が直面する「次の作品はどうするか」という永続的な問いにも通じています。

  • 普遍的メッセージへの昇華: 「確かにそこに今もそこにあるよ」から「確かにそこに君の中に」へと変化する言葉は、この歌が単に個人的な経験の表現ではなく、聴き手一人ひとりに向けた呼びかけへと昇華していることを示しています。これによって、歌詞は自己表現の物語から、聴き手自身の内なる声を発見するよう促す共感的なメッセージへと広がっていきます。

このアウトロでは、自己表現の個人的な旅が普遍的な価値へと発展していることが伝わってきます。「本当の声」を見つけ、響かせることは単に自分自身のためだけではなく、他者の内なる声にも共鳴し、新たな響きを生み出す可能性を持っています。個人の成長物語が、他者への共感と励ましへと広がっていく様子が、このアウトロには美しく描かれているのです。

10. 群青色の多層的な象徴性

タイトルの「群青」という色は、この曲全体を貫く重要な象徴です。群青色は特有の深い青色であり、日本美術でも伝統的に重要な位置を占めてきた色です。曲中でこの色が持つ多層的な意味を探ってみましょう。

  • 深遠さと内面性の象徴: 群青色は表面的には見えない深い部分を持ち、それは自分自身の内側に眠る本質や可能性を象徴しています。「訪れた青い世界」「しがみついた青い誓い」といった表現は、単なる視覚的なイメージを超えて、内面の探求という精神的な旅を表しています。群青は海や空の奥深くを思わせ、自己の内面世界の無限の広がりを暗示しています。

  • 希少性と価値: 歴史的に群青色は希少な顔料から作られ、非常に価値の高いものでした。この点は「自分にしか出せない色」という表現と呼応し、自分だけの独自性や存在価値を象徴しています。他者の模倣ではなく、自分自身の本質から生まれる表現の価値を、この色が暗示しているのです。

群青色は、この曲において単なる色彩を超えた意味を持っています。それは自己発見の過程で見出す内なる深さであり、唯一無二の存在価値であり、創造的表現の源泉でもあります。「青い世界」との出会いから始まり「青い光」の発見へと至る主人公の旅は、まさに自分自身の「群青」を見出し、それを表現していく過程そのものなのです。

まとめ

「群青」は、単なる自己啓発的なメッセージを超えた、創作と自己表現の本質に迫る深い洞察に満ちた楽曲です。日常の虚無感から始まり、自分の内なる声に気づき、創作の苦しみと喜びを経験しながら、最終的に「かけがえのない自分」を発見するまでの旅路が描かれています。

この曲の魅力は、創作活動や自己実現の過程を美化せず、その苦しみや挫折、不安も含めて誠実に描き出している点にあります。「好きなことを続けること それは楽しいだけじゃない」「自信がないから描いてきたんだよ」といった言葉からは、現実的な困難を認めながらも前進する姿勢が感じられます。

特に印象的なのは、「何枚でも」「何回でも」という繰り返しが示す継続と積み重ねの価値です。一度や二度の挑戦ではなく、何度も繰り返し努力することで初めて見えてくる「青い光」があることを、この曲は教えてくれます。

また、「もう今はあの日の透明な僕じゃない」という変化の自覚も重要なメッセージです。自分らしさを見つける旅は、一朝一夕に完結するものではなく、日々の選択と挑戦の積み重ねによって少しずつ形作られていくものだということが伝わってきます。

「群青」は、創作に取り組む人々だけでなく、自分らしい生き方や表現を模索する全ての人に向けた、勇気と希望のメッセージと言えるでしょう。「知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよ」という呼びかけは、私たち一人ひとりの内側にある「本当の声」に耳を傾け、それを表現することの大切さを静かに、しかし力強く訴えかけています。